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| ペットのシアワセ | |||||||||||||||
| 自分のそばにいるペットが自分に飼われてシアワセなのかな、シアワセだったのかな、と 思っては悩んでしまうことがあります。 ティーに対しても思いましたし、今生きているファラオやれの字に対しても思います。 それはきっと後ろめたいことがあるから。 100%の愛情を注いでいても、たまに手を抜いてしまって「かわいそうなことをしちゃったかな。」と 後悔することがあるのです。 これが結局、「私のそばにいてシアワセなのかな。」という疑問につながってしまうのです。 見送った後でも、 「手を抜いてしまった。」 「あのときかわいそうなことをしてしまった。」 と悪いことばかり思い出してしまい、結果 「自分のそばにいてあの子は本当にシアワセだったのだろうか。」 と思ってしまうのでしょう。 |
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| ティーを見送ったときに私もチラリと考えてしまいました。 私以外の人がティーを育てていたら、 ティーはもっとシアワセな毎日を送れたかも知れないと。 しかしこれは私の勝手な思い込みなのですが、 私がティーと一緒にいてシアワセだったのだから ティーだって私と一緒に暮らせてシアワセだったに違いありません。 別の人に飼われていたら、 それはそれで別のシアワセがティーにあったでしょうけれど、 それは結局は別のシアワセ。 どちらが上とも下とも決められない全く別の次元のシアワセのはず。 私と一緒にいられるシアワセは私しかあげられなかったでしょう。 私がファラオを愛しいと思うのですから、 ファラオだって(例えたまに噛み付くとしても) 私を好きに違いありません。 私が「これ以上あげられない」と思うくらいに 心全部をあげてしまっているれの字ですから、 れの字だってまぁまぁ私のことは好きなはずです。 |
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| だからいいんです。 私の勝手な思い込みだろうが、うぬぼれた自己中心的な考え方だろうが、何だっていいんです。 私は私のペットと一緒に暮らせるのが一番シアワセなんです。 だからもう考えないようにします。ペットが私に育てられてシアワセかどうかなんて。 だってシアワセに決まってるもんっ。 |
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