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| ちゃりんちゃりん。あたちのお願い、かないますように。 | ||||||||||||||
| 昨年から自分なのに自分ではないような毎日を送っています。やっぱり私はれの字がいないとダメみたいです。 今でも近くにれぱんを感じます。きっと時々そばに来てくれているのでしょう。 しかし、れぱんを感じることができても実際に見ることができないのが寂しいです。 れぱんを見られれば、また一緒に暮らせれば、私はどれだけシアワセになれてどれだけ私らしさを取り戻せるでしょう。 見たい。会いたい。またこの目でれぱんを見たい。 他の人には見えなくてもいい。私だけに見えてくれればいい。この点に関しては私は狂ってもいいと思っています。 「ある朝起きたら当たり前のようにれぱんが一緒の布団に入っていてくれないかしら。」 そうつぶやいた私に夫が言いました。 「念じればできるはずや。人の思いは強いのだから。」 最新の科学において、人が念じることにより素粒子を動かせるという論説の発表があったと夫は言います。 素粒子とは物質を構成する最小単位のことで、物理学にうとい私にはよくわかりませんが、目に見える有体物質は もちろんのこと風や空気などの目に見えない物質も元は素粒子の集合体からできているのかなと思っています。 この素粒子。研究者が素粒子をじっと見つめて、右に動くと思うと素粒子も右に移動するという論説があるそうです。 ・素粒子が本当にその研究者の強い思いによって右に動いたのか、もしくは、 ・素粒子が右に動くと強く念じたその研究者の目には、素粒子が右に動いて見えた。 どちらかはわかりませんが、そんなことどうでもいいです。 目の前にれぱんが現れたとして、それが本当にれぱんがそこにいるのか、単に私の目にだけそう見えているのか、 そんなことは私にはどっちでもよくて、私がれぱんを見ている・見えているという事実だけが大事なのです。 だとしたら私にももう一度れぱんを見ることができる可能性があります。 ある朝、普通にれぱんが私を起こしに来る。そのためにはまず、 「そんなことはありえない。」 という、ごくご普通の気持ちを取っ払って、絶対にれぱんがある日現れるのだと、一転の曇りもなく思い込むことが 必要になります。 「れぱんを見るぞプロジェクト」 そんな素敵な一大プロジェクトを私は勝手に立ち上げました。何年かかるか何十年かかるかわかりません。 そのプロジェクトに向かって私は進むことにしました。 何だか気持ちが明るく楽しくなりました。だってれの字にまた会えるためのプロジェクトですもの。 れぱん。感じるだけじゃなく見るからね。キミをもう一度見るからね。 (2011年6月20日) |
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| 25円分のお願いです。 | ||||||||||||||
| ☆おしまい☆ | ||||||||||||||