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| れの字が私の目に見えなくなってから2年と4ヶ月。 ふと口をついて出るのは「れぱん」という名前。れの字を呼ばなかった日は、たぶんありません。 ペットショップに行くと真っ先に向かうのはフェレット売り場。 あられもない姿で眠るベビーフェレットを15分くらい じぃー っと見つめてしまいます。 テレビでカワウソが出れば「きゃー♪ 動きがイタチだわっ。フェレットみたい♪」なんてはしゃいでしまいます。 『いたち』という優しいひらがなの響きも 『フェレット』という弾むカタカナの響きも大好きです。 フェレットを一度でも飼ったことがある人なら、その魅力のとりこになるでしょう。 私も勿論例外ではなく、もはや魂も奪われてしまったようです。 だからこそ自分でも不思議でした。どうして私はフェレットを購入しないのでしょうか。 ペットショップのケージの中の、ドキドキしちゃうくらい可愛い赤ちゃんフェレットをどうして連れ帰らないのでしょうか。 れの字が使っていた用品だって丸々ぜーんぶ残っているのに。 でも買いませんし飼いません。正直、飼おうと思ったことはないかも知れません。 寂しくないんです。フェレットが私のそばにいなくても。 そして思い出すのはフェレットを飼っていた友達の言葉です。 「私ね、フェレットが好きなんじゃないの。ピノが好きなの。」 うん。そうだね。そうかも知れない。 私はれの字を『フェレット』として見ていたのではなく、フェレット=れの字 ではなく、 フェレットを超越した形でれの字の存在を捉えていたのかも知れない。 だから今寂しいのは、れの字を見ることができないからであって、フェレットがいないからじゃないんです。 何でこんなにごちゃごちゃ書いているかというと、ここ数日また強く強くれの字を想ってしまったからです。 れの字と一緒に暮らしているような気がして 時々ふっとあのフェレット臭すら感じるときがあって そばに来てくれたのかな、なんて思って嬉しくなるのに やっぱり寂しさが私の全身を覆うことがあるのです。 さらに、れの字への想いは2年前のそれと形が変わっているような気がします。 念に近かった前ほどの想いがなくなっているのです。 れの字の耳や足、しっぽ。 触れた感触を思い出せるのですが、2年前に思い出したときの感触と違うのです。 今ここにれの字が現れたら、と、今まで100万回同じことを想像してきましたが 空想の中でれの字に再会したときの気持ちが、2年前と最近とでは違うのです。 私はれの字を忘れてきているのかもしれません。たった2年で。 怖くて、忘れることが怖くて、何度もれの字を思い出してみます。 こんなに想っているのに、どうして忘れられるのか。 「想い」の形が変わってきているのはなぜなのか。わかりません。 ダラダラと夜中に書いていながら終着点が見つかりません。 れの字を好きな気持ちは変わりないのに、その好きの形が変わるなんてことがあるのかしら。 難しいな。想いは目に見えないから難しいな。 れの字が現れてくれないかな。それで全部、解決するのにな。 |
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