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婚約者について
「めぐり合わせってあるものかしら。」

って、婚約者と知り合って思いました。

私はインド系の会社に勤めており、
その会社はとあるクライアント会社のプロジェクト請負をしております。
そのためクライアント会社の建物に入って私も仕事をしています。

私の仕事は、クライアントとインド人の橋渡し。 
ツウヤクだったりホンヤクだったり。

婚約者はクライアント会社に勤めておりました。
初めて婚約者を知ったのは、私がインドの会社に入社した1年前のこと。
しかし実際に会議の場で一緒に仕事をするようになったのは、つい3ヶ月前からでした。

それまでは互いに存在は知っていて、たまに何かの大きな会議で一緒になることはありましたが
特にどうのこうの、ということはなく、社内で会えば挨拶を交わす程度でした。

それが3ヶ月ほど前から会議の場が増え、話をする機会が増えていったのです。
さてここで私はこの結婚に踏み切るのにちょいとためらったことがございます。

婚約者は3年前に急性リンパ白血病を発症し、緊急入院 → 放射線治療 → 骨髄移植を経て1年半前に退院しました。

髪の毛・眉毛など、抗がん剤の副作用により全ての毛が抜け落ち、死ぬか・生きるか、の瀬戸際の戦い。
死との恐怖に面と向かえず精神安定剤を飲み続ける日々。

、、、という日々の中でも、さすが私の婚約者だと思えるような「ありえない」行動が多々あったのも事実です。
それは後々書いていければと思っております。
婚約者が無事に職場復帰できたのは
1年間の入院生活 + 半年間の自宅療養を経てからでした。

白血病を患った人なら誰でもそうなるのですが、
免疫力が生まれたばかりの子供のような状態となります。
ちょっとの風邪、ほんの少しの細菌が命取りになってしまうのです。

そのためどこへ行くにも、社内でも常にマスク。
食事に関して厳しい制限。
不衛生なものを極端に避ける。

とにかく限りなく無菌状態に近づくように毎日を送っていました。
婚約者は骨髄移植をして、体内の血液を全て取り替え始めた日を

「自分が生まれ変わった第2の誕生日」

と言っています。

そして本人の中での願掛けがあり、
骨髄移植をしてから2年間は
とにかく厳しい制限の中で生活していました。

人との接触を避けるため、時間より早く出社して仕事を始め
電車通勤がしんどかったため、お金のかかる車通勤。
ヨーグルト、キムチなどの発酵食品および加工食品はNG。

「2年間」
彼がその期間にこだわったのには理由がありました。
その数字は病院で提示された「再発の推移」の表に由来していたのです。

骨髄移植をしてから5年間の再発の推移がグラフになっているものです。

移植後2年間は約6割の再発の可能性があり、
その後数字が下がっていくものでした。

そこで彼の中で「まず2年間は何としてでも生きる」という気持ちがあったのでしょう。

とにかく2年間は、生まれたばかりの赤ちゃんに対するものと
同じくらいの注意を払って生活していました。

2年が経ったその日、大好きなお寿司を5年ぶりに口にして

「シアワセだ。生きているって素晴らしい」

と思ったそうです。
そしてその2年が経過したのが3ヶ月前のことです。

ちょうどその頃に、私との会議の場が増えていきました。
そしてふとしたことからどこかにお出かけを始めたのが2ヶ月前。
真剣にお付き合いを始めたのが1ヶ月前です。

願掛け期間中には、

動物のいる場所には一切近寄らなかった彼。
家にあった植物を外に全て出していた彼。
歯ブラシを漂白・殺菌しながら使っていた彼。
他人との接触をなるべく避けていた彼。

そんな婚約者ともし願掛け期間中に会議が増えて親しくなっていたとしても、
絶対にどこかにお出かけすることもお付き合いすることもなかったでしょう。
偶然にも親しくなり始めたのが願掛け期間が終了する時だったからこそ
婚約者にとっても動物好きな私と一緒にいて全く問題なかったですし、
何ら制限もこだわりもなく、デートができたのだと思います。

血液型がA型からO型に変わっている過程の婚約者。(まだ完全に替わっていません。)
そんな彼とめぐり合わせがあったことを幸運に思います。

                             
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