もうひとつのいたちなあたち~リンパ腫を体中に持ちながらもシアワセに生きたフェレットの記録~

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フェレットのリンパ腫

2010年8月

2010年8月1日(日曜日)

明け方に吐き気止め。 今日は昨日より体調を戻しているのが分かった。目に生気がある。
アイスクリームも欲しがり、ちょっと与えると喜んで食べた。珍しい。嬉しくなって少量のアイスを4-5回与えた。甘いものは良くないのはわかっている。でももう末期のれぱんには欲しがるものを与えたい。美味しいと思ってくれるならそれでいいと思っている。

生肉は夕方と夜11時に半カップずつ平らげた。

しかし内臓がすっかり減っているのがわかる。そのぶん腫瘍がくっきり目立ってきた。

車椅子を作ってみたが、お気に召さなかったみたい。。。

何だか今月でお別れのような気がしてならない。れぱん、まだそばにいてほしいよ。皮一枚になってもいいから、れぱんを失うのが怖い。

2010年8月4日(水曜日)

朝3時に気持ち悪がるれぱん。免疫サポートを1本半与えるがおさまらず。吐き気止めを嫌がったが与えたところ落ち着いた。
8時~8時半までの間に肉をよく食べた。
昼休み。免疫サポート3本がやっと。肉は食べてくれなかった。

エリスロポエチンが効いていないような気がする。手足がずっと冷たい。。。

病院へ。体重400~450g。月曜日は450gだったのでまた少し減ったことになる。
エリスロポエチンの効果があまりなさそうだと伝えると、先生はれぱんの歯茎の色を確かめた後で足の付け根をつかんだ。
「血流は良いですけど。」
血流?太ももの付け根のところにある動脈を押さえ、脈動を感じ取ったというのだ。血液は順調に足に送られているものの、足先が冷たくなっていることがわかる。

今日もエリスロポエチンを0.05ml投与。

吐き気止めを嫌がると伝えると、ブドウ糖に混ぜてごまかすという案をもらった。どうしようかなぁ。。。

体重が少なくなっているので吐き気止めを1回1mlから0.5mlに減らし、さらに肝臓の薬も1mlから0.5mlに減らすことになった。プレニゾロンは変わらず0.5ml。

エリスロポエチンを先生が用意している間に診察台の上に何気なく肉を置いてみると、れぱんは勢いよく寄ってきて肉の入ったカップに顔を突っ込んで食べようとし始めた。こんなことは初めてだ。よほどお腹が空いているのだろう。

病院が終わり、車の中で肉を与えるとガツガツ。半カップ平らげた。その後はこんこんと眠る。かなりの熟睡。エリスロポエチンを打った後だからだろうか。体が熱くシッポを握るとドクドクと脈打つのがわかった。

れぱんの命が短くなっているのがわかる。今月いっぱい持ってくれるだろうか。

2010年8月5日(木曜日)

夜、生肉を目の前に置いておいたところ、昨日の病院での行動と同じく肉に向かっていって自分でカップから食べた。

私が椅子に座ったままでれぱんの様子を伺うのだが、肉は私からもらえるものと思っているれぱんにとって、私がいる場所と肉のにおいがする方向が90度違うのでためらう感じ。
肉が欲しくて一生懸命首を上に伸ばして私の方を見るのだが、肉はれぱんの左側からにおってくる。あれ?あれ?と戸惑う様子がなんとも言えず可愛らしい。

私の布団の上で時々ケホケホしている。免疫サポートが肺に入って炎症を起こしているのでは、と心配になる。

2010年8月6日(金曜日)

朝、シリンジ2本を与えた。もう無理に与えることはしない。ケホケホしてしまうし、何より肉を食べてくれるなら無理に免疫サポートを与える必要もないだろう。

昼休みに一時帰宅。いつものようにドアを開けてからまっすぐにれぱんの方に向かう。はっとした。れぱんの顔を見て「来てしまった」と瞬時にして思った。次にお尻を見ると、うんPが漏れていた。

ついにこの時が来てしまった。

れぱんに残された時間はわずかだと思った。

すぐにれぱんをいつものカバンに入れ、部屋から飛び出す。しかし私は冷蔵庫からちゃんとれぱんの薬と免疫サポートを手にして部屋を飛び出していた。もうだめだとわかっていたのに、どうして薬や流動食を持って家を出たんだろう。

ぐったりしたれぱんを見ながらタクシー乗り場まで行く。
タクシーで職場にかけつけ、午後半休をもらう旨を伝えながらPCの電源を落とした。手がぶるぶる震えてうまくマウスを握れないことに気づいた。
そのままタクシーで自分の車の駐車場まで10分乗る。タクシーの中で、れぱんが何度も体を少し前に丸め、そのたびに「くぅ」「くぅ」と声が漏れた。

自家用車に乗り換える。そしてそれと同時に病院に電話をした。このときお昼の12時30分。病院は昼休みの時間帯。しかし院長にお願いして診てもらうことに。間に合うかわからないけれど。

れぱんをひざの上に乗せて車を発進させる。れぱんの心臓に手を当てると、ドクドクとかなり力強く打っていた。

信号待ちでシリンジに入った免疫サポートを与えようとするが、全く飲み込んでくれなかった。

病院までは30分から40分かかるはず。しかし走り始めて20分。異変に気づいた。発作がおきていた。様子がおかしい。もうここで、車の中で、見送ることになるかも知れない。

そう思った私は車を路肩に止めた。すぐにれぱんの体を持ち上げ、顔と顔を近づける。

れぱん、れぱん、れぱん
ありがとう。今まで本当にありがとう。一緒にいてくれてありがとう。
楽しかった。れぱんと一緒にいられて本当に楽しかった。
れぱん、もうがんばらなくていい。もう頑張らなくていいから。

思いのたけをれぱんにぶつけた。
れぱんの目は薄く開いたまま。体に力は入らず、ダランとした状態のまま。

まだ時間がある。

そう感じ、またれぱんをひざに乗せて車を走らせた。

国道を降りる。迷った。このまま実家に帰って、れぱんと一番長く過ごしてきた実家でれぱんを見送るか。それとも病院に行って最期の望みをかけて先生に診てもらうか。

右に曲がれば実家
左に曲がれば病院

右か左か
右か左か

迷って迷って頭がぐちゃぐちゃになる。

私は思い切ってハンドルを左に切った。そしてれぱんに話しかける。

れぱん、先生に診てもらおう。先生に楽にしてもらおう。少し楽にしてもらって、それからお家に帰ろう。

するとれぱんが「くぅ」と返事をした。

1分後、また話しかける。

れぱん、もう少しだからね。もう少しで先生のところに着くからね。楽にしてもらおうね。一緒にお家に帰ろうね。

するとまたれぱんが返事をした。「くぅ。」

しかしその後、また発作を起こす。れぱんの心臓が激しくなったかと思ったら少し落ち着き、また激しく鼓動を打つ。

れぱん、れぱん、もう少し。あと300mくらいだからがんばって。

さっき「がんばらなくていい」と言ったばかりなのに、私はがんばれってれぱんに言ってしまった。

病院が近づく。れぱんの心臓がふと弱まった。あれ。。。?
病院の駐車場に入るためにハンドルを切るとき、れぱんの心臓の動きが1回 ことっ となったのを確認した。

車を止めて、ダランとなったれぱんを抱えて病院に入る。
診察室に入り、先生の顔を見た途端に涙があふれた。先生の前では絶対に泣かないって思っていて、今までれぱんに突きつけられた診察結果がどんなに辛く思えた時にも泣かなかったのに。もうダメだった。限界だった。

診察室の上にれぱんを置く。

「先生、もう何もできることがなかったら家に連れて帰ろうと思っています。」

先生が聴診器をれぱんの胸に当てた。

「残念ですが。。。」

もう何もできることはないです。と言われるのだと思っていた。すぐに実家に連れて帰ろうと思っていた。しかし先生の次の言葉は

「心臓がもう止まってしまっています。」

まさかという気持ちだった。

2010年8月6日金曜日。午後1時過ぎ。

7歳3ヶ月11日のれぱんの生涯が終わった。
腫瘍らしきものが超音波で確認できてから1年3ヶ月。抗がん剤治療を始めてから1年と3日。

たくさん針を刺されて、薬もたくさん飲まされて、それでもれぱんはずっと私と一緒にいてくれた。

抗がん剤が見た目には全く効いてくれなくて、薬の組み合わせに頭を悩ませた。
副作用の吐き気をどう抑えてやれるのか、夜中に体をさすってやりながら考えた。
嫌いな味の薬を嫌がるのを無理に与えるときが辛かった。
夜中に必ず出る吐き気をとめてやりたかった。

れぱんが好きで、れぱんにそばにいてほしくて、れぱんを抱いていたくて、れぱんと一緒に寝ていたくて

ただただれぱんが大好きでそれだけの気持ちで必死だった1年間。

「よくがんばったね」

帰宅した私に母は言った。でも違う。それは違う。頑張ったのはれぱん。私はただれぱんと一緒にいたかった。それだけの気持ちしかなかったから、頑張ってなんかいなかった。

れぱんは鼻の周りにほんの少しだけを残して体中の毛が抜けてしまった。
体脂肪率0ではないかと思うくらい、れぱんは痩せてしまった。
マイクロチップの色形がハッキリわかり、内蔵の場所が目視でき、腫瘍の1つ1つが浮き出るくらいれぱんはボロボロだった。
生命力を維持できるギリギリのところまでれぱんは生き続けてくれのだろう。

私は、これ以上もう残っていないくらいの愛情をれぱんに注いだ。
れぱんは、これ以上生きられないというくらいの組織の力を使い切ってから逝った。

飼い主としての勝手な解釈かも知れないが、私がれぱんと1分でも1秒でも長く一緒にいたかったのと同じように、れぱんも私のそばに少しでも長くいたいと思ってくれていたのではないか。生命力の全て、臓器の動ける力全てを最後の最後まで一生懸命動かして、「ゼロ」になったときに心臓を止めたのではないだろうか。

れぱん、私はキミに出会えて、キミと一緒に泣いて笑って生きてこられたこの年月をを大事に大事にしながらこれからも生きていくからね。

れぱん、れぱん、れぱん、れぱん、れぱん、れぱん、れぱん、れぱん。

キミが大好きだった。キミと一緒にいて、自分にこんな愛情がいっぱいあったんだって思えるくらいの気持ちになれた。ただキミと一緒にいたかった。キミがいてくれさえすれば私はシアワセだった。本当に本当にありがとう。

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